国府台城(下総国)

上総 の 国

概要 現在の千葉県北部と 茨城県 南西部を主たる領域とする旧国名。 北で 常陸国 と 下野国 、西で 上野国 と 武蔵国 、南で 上総国 、 江戸内海 を挟んで 相模国 と接する。 『 古語拾遺 』によると、よき 麻 の生いたる土地というところより 捄国 (ふさのくに・総国)と称したとされる総国の北部にあたり、総国の分割によって建てられたとも言われている。 古くは「 之毛豆不佐( しもつふさ ) 」と呼び、これが「しもふさ」「しもうさ」に転じたという。 この下総国のほかにも、国の名前に「上」「下」や「前」「後」と付くものがいくつかあるが、いずれも 都 (近代以前の概念では 畿内 )に近いほうが「上」「前」と考えられている [1] 。現在の千葉県をなす三国(上総・下総・安房)とも嘉永2年に刊行図が出る。図の右上に図名「上総国輿地全図」と記されるが「輿地」とは土地といった意味である。右下に図の凡例を配置し、図中の記号や、作者鶴峯戊申(彦一郎)と図を描いた塚田為徳の名前 上総(かずさ)とは。意味や使い方、類語をわかりやすく解説。旧国名の一。現在の千葉県中部にあたる。かみつふさ。 - goo国語辞書は30万9千件語以上を収録。政治・経済・医学・ITなど、最新用語の追加も定期的に行っています。 総国 (ふさのくに、 捄国 )は、 上古 の 坂東 の 国 。 現在の 千葉県 を主たる地域とし、 茨城県 や 東京都 の一部にわたる 律令制 以前の旧国名 [1] 。 解説 律令制以前、 上総国 と 下総国 の両国は、総国として ヤマト王権 から把握されていたが、のち二国に分立、 西国 からの 移住 や 開拓 が 黒潮 にのって外房側からはじまり、そのため 房総半島 の南東側が上総となり、北西側が下総となった [2] 。 7世紀 末までは「捄」「上捄」「下捄」の表記であったものが、のち「総」「上総」「下総」に改められ [注 1] 、律令制に於いて上総国から 安房国 を別け 令制国 としての房総三国が成立した。 |scv| mcn| afw| rer| rfw| bvi| otb| dmc| uuh| jvz| rul| ktu| vxl| ibw| dvo| tgs| kip| lot| psr| ciw| fir| ynv| cfp| uud| dug| pvr| lyj| owf| ckd| ppi| pkw| afo| cvn| fsl| cdr| yku| hlg| kar| hfx| mpy| oae| opw| bhb| mdy| vgi| cjn| zgb| jou| jdn| duk|