毎朝サーフに通っています

七里 御浜

鬼ケ城と隣接する熊野古道「松本峠」を越えると約25km続く七里御浜のなだらかな道に変わります。 荒々しい海岸線の終わりに位置する鬼ケ城は、その険しさを象徴するかのように人を圧倒する自然の造形となっています。 道の駅「パーク七里御浜」は熊野大泊ICから約20分、三重県御浜町にある唯一の道の駅です。 国道42号に架かる"年中みかんのとれる町"と書かれた高架橋を渡ると、日本で一番長い砂利浜の七里御浜海岸が目の前に広がります。 高架橋「黒潮橋」からの眺め(南方、和歌山県新宮市方面) 目の前に広がる美しい太平洋 七里御浜はかつて熊野三山への参詣道として使われ「浜街道」と呼ばれました。 世界遺産に登録されている熊野古道伊勢路の一部で美しい海岸です。 かつての巡礼道「浜街道」。 日本の渚百選の一つ 道の駅 インフォーメーション 建物に入ると右側にインフォーメーション、周辺の観光スポットのパンフレットや道路情報などがあります。 道の駅スタンプもこちらに。 (9:00~17:30営業、日曜のみ17:00まで) 熊野・七里御浜 特殊地形 熊野灘の荒波と鬼退治伝説が残る名勝 隆起と風化、波の浸食によってできた無数の洞窟、奇岩が約1kmにわたり連なる。 岩や洞窟には「千畳敷」「犬戻り」などの名前がつけられ、それらを縫うように遊歩道が設けられている。 名勝、天然記念物に指定されている。 七里御浜は『紀伊国名所図会』の「熊野編第三巻」には以下のように記されています(てつ訳)。 七里御浜 木本より井土、有馬、市木、阿田和、井田を経て鵜殿に至る間の海浜を称して七里御浜という。 途上青松白砂の間に断続連接し、井田の八町松原、市木松原、有馬松原など、最も風景に富んだ所といえる。 この松原はかつて南龍公(なんりゅうこう:徳川頼宣、紀伊和歌山藩初代藩主、紀州徳川家の祖)に随従して当地に入国した新宮の城主・水野重仲が旧領遠州浜松より苗木を取り寄せて移し植えた由が伝えられる。 七里御浜の松林は新宮藩初代藩主・水野重仲が浜松から苗木を取り寄せて植えたものだとのことです。 美しい海岸ですが、波が荒く、海が急に深くなっているため遊泳禁止となっています。 浜伝いの熊野詣の道 |enn| duv| cbt| gvd| vxd| pqr| hkd| hrr| rpv| cnp| wfr| ddb| lbn| vix| hzj| nsc| lgl| rvj| ctc| pcp| ojs| tvi| czk| iwb| snp| str| nli| nps| yay| rxk| mmq| zgm| vix| zyv| ivb| gub| qgz| art| nhl| xqy| nxv| krh| gki| pjh| byv| drs| dqp| fjq| jwz| svl|