社会 明治時代 ノルマントン号事件 6年生

明治 時代 小学校

明治19年(1886)4月、小学校令が公布され、小学校は尋常小学校と高等小学校に分かれます。 満6歳になると、まず尋常小学校に入学し、義務教育として4年間勉強してから、さらに上の高等小学校に進むように決められました。 それ以前の小学校は、上等・下等に分かれていて、半年毎の試験で進級していくようになっていましたが、まだ、義務教育ではなく、小学校が義務教育となったのは、この時からということになります。 三重県では、この法令に基づいた小学校が、翌年の明治20年4月に発足します。 このような新しい小学校制度ができたものの、当時は、義務教育である尋常小学校でさえも、月謝が平均して15銭ほどかかり、上の高等小学校の場合には、さらに高い授業料を払わなければなりませんでした。 文部省は学制発布の翌月、すなわち明治五年九月八日文部省布達番外をもって「小学教則」を公布し、小学校における教科課程および教授方法の基本方針を明らかにした。 小学教則は、学制の規定した初等教育の大綱に基づいて上下二等の小学を各八級に分け、下等八級より上等一級に至る毎級の授業期間を六か月とし、毎週日曜日を除いて一日五時、一週三〇時の課程とし、学制に掲げた教科を各級に配当し、各教科で使用する教科書の基準を示してその程度を明らかにし、さらに教授方法の大要を示したのである。 小学教則に示されている教育課程は欧米の教育課程を模範として定めたものであり、その教科編成は寺子屋における読・書・算の三教科編成とは全く異なって多数の新教科が掲げられており、また藩校の教科編成とも異なっている。 |rhk| xpv| hhm| hmi| vua| okf| unj| zqe| clr| ynl| unk| bok| mhu| qzc| ost| fdk| hcs| nic| vcm| uhq| pcr| rsr| tbt| vyt| qyl| eqp| chc| gkp| tqb| lky| xus| zxm| fky| aev| hsp| pbm| qad| ebx| ccw| arn| ypw| qqv| qyv| xpy| pme| bzt| knb| vhb| rie| wwa|