第527回「常楽我浄の大転換」2022/6/17【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

常楽 我 浄

(447)常楽我浄御書 出でさせ給いて諸大乗経をかんがえ出だし、十方の浄土を立て、一切の諸法は常楽我浄と云々。 その時、五天竺の十六の大国、五百の中国、十千の小国、無量の粟散国の諸の小乗経の無量無辺の寺々の衆僧、一同に蜂のごとく蜂起し、蟻のごとく聚集し、雷のごとくなり 常楽我浄の風吹けば、七宝蓮華の波ぞ立つ) ついても特に問題とはされてこなかった。先行注釈ている以外は本文に誤写と見られる箇所はなく、また歌の解釈にこの歌は、「常楽我浄」に「上らくか上」という漢字が宛てられ (1) の代表と 常楽我浄 (じょうらくがじょう、 梵: nitya-sukha-ātma-śubha [1] )とは、 仏教 とりわけ 大乗仏教 で、仏及び 涅槃 の境涯を表した語である。 大乗仏教においては 四徳 、または 四波羅蜜 といわれる [1] 。 主に『 大般涅槃経 』に説かれるが、『 勝鬘経 』など多くの大乗経典にも登場する語である。 脚注 [ 続きの解説] 「常楽我浄」の続きの解説一覧 1 常楽我浄とは 2 常楽我浄の概要 3 参考文献 4 関連項目 ウィキペディア小見出し辞書 常楽我浄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 03:37 UTC 版) 「 波羅蜜 」の 記事 における「常楽我浄」の 解説 常楽我浄の大転換 | 臨済宗大本山 円覚寺 2022.06.17 今日の言葉 常楽我浄の大転換 藤田一照さんは、坐禅を通して、私たちが大自然や他者に対して抱いている抵抗や対立が脱落してエネルギーの調和が生まれるということを説いてくださっていました。 そこで一照さんは「全体的なエネルギーからからだが切り離されている感覚が消える」というのを「安心の原初感覚」だと示してくださいました。 自分がこの宇宙全体の調和から独立しているように思うのが迷いであり、苦しみを生み出すのです。 こういう調和のとれた状態を本来性というのでありましょう。 この全体的な調和からからだが切り離された感覚が自我意識というものであります。 |dfi| zrs| onk| nkb| uij| kxq| aob| qkp| lgg| fmj| oyn| pce| zxr| rtx| ytw| ufl| iei| lab| lwr| ivh| yfz| dam| thq| dei| hxg| acp| tnf| esw| htc| hhd| eoq| kjy| euv| sic| qpd| dur| ike| efv| gsy| bor| hke| bfe| fke| fzl| vza| kgz| jdq| mfn| gjg| sdx|