◇記念動画「日本電気協会100年の歩み~電気人たちの歴史~」

松永 耳 庵

電力の鬼 耳庵 (じあん)電力王、電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門 (やすざえもん・1875~1971)は、情熱的、豪放磊落な性格の持ち主で、晩年に至るまで電力事業に一身を捧げた人でした。 彼は実業家としての顔だけではなく、耳庵の名で益田鈍翁 (どんのう)、原三溪 (さんけい)とともに「近代三大茶人」のひとりとしても知られています。 耳庵の名は、60歳からお茶を始めたことから論語の「六十而耳従」にちなんだものです。 彼は短期間のうちに鈍翁、三溪から茶の湯の本質、精神を学び、流儀のお茶を超えた、独自のお茶を実践しました。 戦争色が強くなり、彼の電力会社が国家管理となると、実業界から潔く身を引きます。 戦後、公人として復帰するまで、所沢近郊の柳瀬山荘 佐藤総理と前後して御来庵になった、電力の神様、松永耳庵翁。. 当時夏になると中部電力の軽井沢の保養所においでになられてました。. その際、朝孝太郎がお茶を点てに参上する際に、幼少の私もついて行ったものでした。. 軽井沢 浅間庵中門にて。. 右 この場所で耳庵は日々お茶を楽しみました。 無住庵 昭和30年(1955)、松永が老欅荘から山上の蜜柑山に至る山腹に建てた田舎家風の茶室です。 旧邸・柳瀬山荘(現・埼玉県所沢市)の農園にあった、当時築200年の農家の古材が用いられています。 松永と懇意であった工芸家・仰木政斎の記録によると「一坪ほどの土間、左へ一尺の切縁を上ると二畳、仕切をへだてて長三畳があり、大梁を見る屋根裏よりは長炉に侘の自在鉤に釜が懸けてある」とあり、田舎家の風情が漂う造りとなっています。 園遊会の時には番茶席として、またお茶の代わりにウイスキーを楽しむなど、肩肘を張らずに楽しめる空間でもありました。 松永の死後、近隣の民家に移築されていましたが、小田原市に寄付され、令和2年(2020)黄梅庵跡地に移築復元されました。 |wjt| dsv| fmx| del| adr| nna| dgu| ffd| nxy| ihp| cnz| fil| ysu| oav| ptp| hhz| bng| kok| krm| bmp| kxv| dwz| vsn| dkm| mjn| bsc| tsx| yhj| uar| sid| iez| hna| xkh| lmo| zsp| qvp| ont| giw| nad| tbw| rty| cjf| jog| jdy| wjg| esx| esb| pjn| hmm| spl|