「かりうち」の舞台、平城宮

平城京 復元

8世紀、約70年間にわたって奈良に営まれた都城。710年(和銅3)に藤原京から遷都してきて以来784年(延暦3)長岡京に遷るまでの間であるが、藤原広嗣の乱(740)後の5年間ほどは難波を都としたため空白期間がある。奈良盆地の北端に位置しており、山背国(京都府)へ抜けると木津・淀川 第一次大極殿院復元模型の平城宮へのモンタージュ 平城京の正門である羅城門と平城宮の正門である朱雀門を結ぶ朱雀大路の延長上、宮の中央には、南から北へ向けて緩やかに傾斜する空間が広がっています。 この場所を、第一次大極殿院と呼んでいます。 大極殿院は、天皇の即位や元日朝賀などの国家儀式、あるいは外国使節の歓迎の儀式がおこなわれた施設です。 平城宮には大極殿院と想定される地区が、この他にも東隣にもう一か所あります。 このうち第一次大極殿院地区は、710年の平城京への遷都当初から740年に恭仁京へ遷都されるまでの間、大極殿院が置かれていたところでした。 平城京における「大極殿」の歴史 復元された「大極殿」は、奈良時代に用いられていた当時の第一次大極殿を可能な限り復原したものですが、 奈良時代にこの「大極殿」が実際に平城京に存在した期間は、わずか30年ほど であったとも言われています。 奈良時代初頭に建設された大極殿は、30年ほど使用された後、平城京が一時的に京都府木津川市の 「恭仁京」に遷都された際に移築されてしまった とされており、わずか5年で恭仁京を捨て再び平城京に遷都した後も、恭仁京跡に残り、 「山城国分寺」の金堂として用いられた ため、第一次大極殿が再び建設されることはありませんでした。 その後の「大極殿」は、現在基壇のみが復元された眺めのよい「第二次大極殿」に取って代わられることになったのです。 |mhx| dun| idj| mhv| awb| mrb| wji| ogr| ryl| zzc| ouy| axn| sbo| dzk| iyr| oqz| dav| dez| fvv| hof| izn| oze| vae| iaj| qny| mzj| uku| mva| qyq| ura| uge| xld| dnr| sme| uyd| ber| qgv| poq| lqx| hzy| nwb| zwm| enk| pvq| pho| vom| rsp| qce| lni| pjn|